小生の、武芸名。

長野の実家の下道に・・・こんな像がある。(知らないうちに、出来ていたぁ?(笑))

 

でもなぁ…。うちの師匠と、一度は来ていると思うので…。(。-_-。)ウウ~ン…。

そうなると、16年は以上は、経っている?

工エエェェ(´д`;)こんなの、だったかな!?なんか。新しい気がする…(゚Д゚;)ノノ


何ともボヤけた、曖昧な記憶デス…(苦笑)

今思えば、こういったことも、大切な時間だったのに・・・と、今は、後悔しています。

 

和泉小太郎像は、幾つも存在するので・・・穂高神社にもある。

(だから、小生の記憶も、錯綜してくるのだ。。。(笑))

 

さてさて、『まんが日本昔ばなし』のオープニングに登場する、『龍の子太郎』は、皆さんは、良くご存知かと思います。

 

実は、その、元となる民話が、

この『泉 小太郎 伝説』なのである。

 

そして、小生の武芸名、『 美竜(龍) 』は、

此処から、命名されたのであった。

(強そうな武芸名ですが、全然違うのです。奥深いのです!)

 

ここで、話すと長いので、下記のwebで、各々チェックされよ!ここでは割愛させていただきます。

まあ、うちの師匠が、この話に感銘を受けた事と、また師匠の幼少期の思い出とリンクする部分があったらしいので・・・。

そして、泉川先生と、うちの師匠との、出会いにまつわることもあり、

幾つかの、事柄が、ピタッとハマり、『美竜』命名されたのだった。

 

ただ、小生は、この武芸名の由来を説明するのが、如何せん、長くて七面倒臭いいので、普段は使用していない。帯の刺繍も、高橋美枝のままだ・・・。

うちの門弟たちは、きちんと、武芸名を刺繍した帯をしてマース!(笑)

 

花押だけは、便利なので、使用している。(笑)

 

『清水不魚住』…よく言ったものです。

 

この伝説から、名付けられたことに、今、漸く気づき・・・。

 

師匠との過ごした日々を・・・顧みて。 重深く…『 愛 』を感じました。

 

師匠は、常日頃より『表面にある意味(技)だけではなく、もっと、もっと、構造、成り立ち、その人の歴史など、複雑に絡みあって、現在(いま)の世界を成しているいるのだから、自分の物差しだけでは、測れないのだと・・・だが、どこかで潔く決断しなくては、前には進まない。しかも、武道家は、瞬時にこの判断が出来るように鍛錬していくんだよ・・・!(笑)』

 

う・・・小難しい。 (´ε`;)・・・ けれど、大事なことなんですよねぇ~。

 

武芸名の由来となった、像の前で…。

 

果たして、小生は、こんなにも深く、弟子たちのことを、思い、支え、導いて、あげられるだろうか?

 

まあ、前向きに、頑張っていくけど。。。うちの師匠みたいに、人間が錬れていないんで、小生には難しいなぁ。。。まあ・・・どんまい。ってことも、アリ?(笑)気楽に行こう!

 

…とは、言いつつも・・・。

 

今一度、自分なりに、師の言葉を鑑みる、小生でした・・・。

 

以上

 

泉 小太郎伝説は、こちら

 

http://www.spacefan.net/minwa/kotaro01.html

  • この像のある和泉の地で生まれた泉小太郎は、諏訪大明神の化身である母、犀竜の背にまたがって、湖であった松本・安曇の地から岩山を砕いて水を日本海に流した。
  • 水を抜いて肥沃な土地となり栄えたという伝説。母の犀龍とともに岩山を切り崩し、湖から水を抜いて、安曇野を造り出し、人が住めるようにしたという長野県の民話。これによりできた川を犀川(さいがわ)と呼ぶようになった。泉小太郎の伝説は、児童文学作家の松谷みよ子が1960年(昭和35)に出版した童話『(たつ)の子太郎』のモチーフの一つになっているらしい。

 


意外と雑多に放置されている・・・。(笑)

 

この像の前に、下道との間に、チョットしたスペースがある。

小生が、帰省した際、一族は、勝手に、

臨時駐車場スペースにしているのだった。(笑)

ご近所さんたちも、同じく、来客があると、このスペースを臨時駐車場としている。。。

 

結局は、誰の土地なのかは、『 謎 』!?

 

まあ、田舎なので、そんな、お堅いことは決まってないんで・・・(笑)

 

 


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