那覇手継承図解

ここでは、那覇手での、当道場関係に限定しての、先代故原田彪太朗先生から、

小生に伝承された系図をご紹介いたします。

現在、沖縄に生存している大家の先生からすると、若干異なるのでしょうが、

本来、文献が少なく、金城裕先生も、中村孝先生に、神田の古書を扱う店舗に半世紀を掛けて収集した貴重な古書を寄贈したのである。

 

ところが、それすら、実際は、復刻版が、大半を占めているのが現状である。

 

そして、沖縄でも、継承者が、実子にも伝わっていないという悲劇的な現状が本当のところである。

 

また、沖縄の空手博物館を経営している、泉川寛吉先生のかばん持ちをされたと、おっしゃている、Ho・・先生のご年齢も、まるっと、合わないのである。

(笑)

 

まあ、雑多なことはさて置き、取りあえず小生の未熟までの系譜を、関係者の要望により、ざっくりと、記しておきます。

 

ご質問等は、メールで受け付けます。

 

但し、小生は、語学がまるっと苦手なので、広報担当は、照屋愛と、その親戚関係に委ね、何とかご質問には誠意をもって、時間はかかりますが、回答をさせていただきます。

 

お問い合わせは、空手愛好者に対しては、全世界を対象として、受付けは、致しております・・・。

順番にお答えいたします。

 

そして、指導を求める方は・・・(総括マネージャー、AI.TERUYAまで。)

 

小生の戯言につき、気分を害した先生方には、どうか、寛大なご処置をお願い申し上げ、サラッと素人のたわ言と笑ってやってくださいませ~m(__)m。

 

<那覇手創始者> 東恩納寛量 先生(南派少林拳を学ぶと、一般的にはそうなっているが、合っているかは、ご本人と対話したわけではないが、疑問が残る。相似しているが、南派少林拳には蹴り技がないはずである。無いと云うと語弊を招くので、少ない!?使うシーンが皆無。プチ情報!)
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<次期門悌> 比嘉世幸 先生 (この先生、普通の家系に生まれた。宮城長順先生の兄弟弟子にて、通い(現在のアルバイト)をしていて、いつの間にか、宮城先生の弟子とした、系譜が多々存在する。これも、小生は直接出会ってないので、原田先生からの、情報のみ…根拠はない。

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<比嘉系:門弟> 泉川 寛嘉先生(このせんせいも、比嘉世幸先生と、沖縄で、約2週間!?そのほかでは、職場で那覇手を習うのである。ただ、武神のごとく、めっちゃ強かったらしい!これも、うちの師匠のプチ情報!)

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<泉川寛喜先生・門下> 原田彪太朗 先生(本来は、893になる予定にて、的屋:字が合っているかは、自信ない。w。地引昌次郎先生とともに、スカウトされていたらしいい…!(笑)

 また、銀白のウェーブのかかった髪色と、銀色の瞳にて、弘法大師のように恐れられ、弘法大師は神の子で・・・。何故か師匠は『鬼の子』!?(笑)、と忌み嫌われていたのだった。

 14歳の冬、師匠の祖母が手におえず、河へと身投げをするが助かってしまい浅草で893の組長の娘と同棲するのであった。)