誠心塾道場の歴史

簡単な沿革

 日本空手道連合会の中に剛柔流泉武会と言う団体があり、泉川勝也先生が現在、宗家となっております。御長男の寛文先生が継承者となるべきところ、悲劇的にもご逝去され・・・その間、故原田彪太朗先生が会長代行をされておりました。鬱の師匠は継承者となる気は、全くと言って良いほど興味がなく、またご本人は、既に、誠心塾を創設されました。ですが、勝也先生には、手が伝承されておらず、泉武会の悲劇に拍車が掛かるのでした。

また、誠心塾には、当時既に、その中には、幾つかの団体がありましたので、誠心塾総本部としての宗家が本家よりも組織体制としては、確固たるものに出来上がっておりました。これが、泉武会の概要でございます。

平成九年九月十四日、全国の主だった継承者の宗家の先生の前にて、先代原田彪太朗が、小生、高橋美枝の襲名披露を執り行い、それを引き継ぎ、二代目宗家に就任し、今に至っております。

足立区西伊興の道場は、原田先生の生前に創設し、二代目宗家就任のお披露目はこの道場にて、原田先生がして下さいました。

那覇手を名乗って

 さてさて、現在、世間には剛柔流を名乗る団体が多くみられます。

ですが、当道場は、宮城長順先生創始の剛柔流ではなく、

那覇地区に伝わる源流を受け継いで来ました。

 

しかし、全日本空手道連盟が発足し、時代の流れとして、強引にでも、四大流派に分類せざるおえなかった為、当時は、矢も負えず、登録商標を「剛柔流泉武会誠心塾」としたのですが、現在は、それが、逆に混乱を招き、何かと支障を来たすこととなり、現在は、元来の正式名称の、「那覇手泉武会誠心塾総本部」と称しております。

 

⇑ コチラの写真!平成9年9月14日 東京本部道場として足立区に移転した時の、二代目襲名披露写真です!空手界の、大御所!?の先生方が、勢揃い!

・・・に見えますが、(^ー^;) 先生方は、日頃よりとってもフレンドリーな感じで、楽しく空手団談義をしていた記憶しかないですね~。(笑)

前列中央より、小生の右側:先代原田彪太朗。小生の左側:謙交塾館長故岡野友三郎先生(船越義珍門下:全空連有竹専務の師匠デスw)

2列目。正面左から日本空手道連合会 研修会会長:故中村孝先生(金城裕内弟子:武蔵野市空手道連盟会長)・土谷秀男先生(遠山寛賢門下:全日本空手道連盟)・拳昌会会長故地引昌次郎先生(先代原田彪太朗の弟分:全日本ジュニア空手道連盟)・西谷 賢(当道場顧問:神奈川県空手道連盟会長)

 

・・・他の周りを囲うのは、原田彪太朗門下生。小生の先輩に当たる。

 小生は、原田彪太朗門下の末弟になります。(^ー^;)